宮城で教育をテーマに講演会(参加受付中)

おしらせ
 
きたる18日(木)に宮城県で教育をめぐる講演会を開催します。

一般の方も参加できますので、ご希望の方は、
①興道の里 koudounosato@gmail.com  
または 
②添付資料内のQRコード 
でご連絡ください。


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テーマ
もし今の時代に高校生だったら? 
未来のために頑張りたいこれだけのこと


会場 栗原文化会館・大研修室
〒987-2215 宮城県栗原市築館高田2丁目1−10

内容
SNS・ゲーム依存や深刻な学力低下など十代の子供をめぐる問題がクローズアップされています。親として教師として大人として、どう向き合えばいいかを考える講演会です。

・中高校生の保護者・教職員に伝えたいこと。
・現代の高校生を取り巻く状況に対して、どのように対処すればいいか。
・不登校・引きこもり・自死・薬物・ネット依存・ブラックバイトなどの諸問題への対処について ほか。

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北九州小倉 松本清張と同郷の作家たち

翌朝は歩いて駅まで。夜とは表情が一変するさわやかな朝の風情も楽しい。

西小倉駅で下車。今日のお目当ては、松本清張記念館。館の入り口には、清張先生の全作品の展示が。長短編あわせて千点を越えるとか。
 

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いや、すごい数。ちなみに私の本を並べたとしたら、すみっこの小さな一角に収まってしまう(※ここだけ撮影可能スポットでしたw)。


清張の作品は、小説、ノンフィクション、事件簿、評伝、古代史、現代史と幅広い。この人の場合は、人間の醜悪や矛盾を、ニュートラルな目で観察し、洞察して、それを一つの物語として再構築できる。

私なら、人間の性(さが)を直視する前に虚しさを覚えて目をそらしてしまう。人の闇を暴いたところで、人間は変わらないし救われない、と結論を急いでしまうのだ。

清張は人間という種を知り尽くしたかったのだろうか。なぜそこまで人間に興味を向けたかは、展示物を追っても今一つ見えてこなかった。幼い頃におそらくごく小さなきっかけがあったのだろうと思うが、はて清張の自伝などには、そのあたりのヒントが語られているのだろうか。

いささか哀しかったのは、これだけの知と表現の巨人がいるにもかかわらず、今の時代に清張の作品を愛する人たちは、年々減り続けているだろうことだ。清張が抉り出そうとした戦後日本や人間の闇というものを、清張の作品を通して丹念にたどろうとしている読者は決して多くないように思うが、どうなのだろう。

清張と同年代でもない人々にとって、戦後の昭和史は、もはや遠い歴史に過ぎなかったりする。今の時代は娯楽はいくらでもあるし、世間は刻々と変わっていくから、清張の作品が顧みられる機会は、今後も着実に減っていくだろう。化石と化して、やがて風化していく。

そのことが哀しく、虚しい――そうか、こうした思いが、過去の私の足を止めたものだったのだ。どうせ何をしても無駄ではないか、という思いだ。


清張は40を過ぎてデビューして、82歳になるまで人間を抉りぬく営みを続けた。鬼神とも喩えうる熱量。

原動力は本人いわく「疑い」であり「底辺から見上げること」だそうだ。出家のひねくれ根性とも似たところはあるかもしれない。

杉並・高井戸に一軒家を構えて、膨大な資料を所蔵していた。その書斎の一部が復元されていたが、途方もない蔵書量。

自分と同等の熱量を編集者にも求めたとか。編集者としては戦々恐々だったろうが、稀代の知の巨人とまみえることができる僥倖も感じていたことに間違いない。


清張の人生の前半40年にわたる貧困と下積み時代は、本人にとっては「濁った暗い半生」だったという。その暗い蓄積があったからこそ、後半生の鬼のような執筆活動が可能になった。自身が体験した混沌を言葉によって濾過していったのだ。

なんとなくわかる気もしなくはない。みずからが体験した混沌や葛藤や矛盾や苦悩というのは、言葉を通して外に出すことで、浄化されていくのである。過去が心の外に排出され、過去の自分が客観的な他者になっていく。心がとらわれなくなる。書くことで、人生全体にわたるカタルシスを得るのである(『ブッダを探して』を通して、微小な規模で自分も体験している)。

いや、凄まじい人生。持て余すほどの熱量を調査と思索と執筆に全力で注ぎこんだからこその巨人ぶり。このあたりは司馬遼太郎や大宅壮一にも通じる。

彼らのような創作の巨人は、もう出てこないかもしれない。



北九州市立文学館にも寄ってみた。この土地出身の作家を紹介展示しているのだが、その数がすごい。

個人的に興味を引かれたのは、自作の紙芝居を子供たちに見せる活動をしていた阿南哲朗という作家。

子供への読み聞かせもいいかもしれない。高校生であれば、硬派の評論文を感情込めて力づよく朗読するのもいいかも。音抜きの外国語が絶対に身につかないように、抽象的な文章も意志がこもった朗読を経ないと、心に入っていかないだろうと思う。語学・国語が苦手なまま終わる人というのは、音を通すという体験を欠いている可能性がある。



北九州という小さな土地に、こんなに多くの作家がいたとは。交易盛んな国際都市であり、多くの異なる他者が入り混じっていた。そこに言葉があれば、これほどの思索と表現が生まれてくる。

この土地で生まれた創作すべてを包摂する文化とでもいうべき現象の全体が、まるごと人間の営みが作り出す芸術作品だ。圧巻の土地。

夜に新門司駅からバスで港へ。フェリーに乗って大阪まで。翌日は奈良入り。


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明石海峡の朝焼け



2025年11月15日






大分築城 暗がりをこよなく愛す

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興道の里2025 No.156
【日本全国行脚・秋】
大分築城 暗がりをこよなく愛す

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映画の後は大分の街をてくてく歩く。西側に広い森があるらしいが、歩ける距離でもなさそうなので、駅前の芝生広場の陽光を堪能することにした。

世界は平和が一番。それだけで、あとは宝石以上の美しい自然が彩りを与えてくれる。おかしなことをして調和を崩しているのは人間だけ。つくづく病気の生き物だ。

土曜ということで宿が見つからず。唯一残っていた築城という小さな駅近くの宿を予約。

駅からずいぶん歩かねばならぬため、運よく残っていたらしい。だが降り立ってみると、駅から遠いことがかえって出家ごころを愛する性分に合っていることが判明した。


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大分県・築城(ついき)駅
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駅を出て、誰もいない道を歩く ああ幸せ(笑)

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誰もいない踏切 ああ楽しい(笑)


見知らぬ夜道を妖しい恍惚を感じながら歩き続ける。踏切を渡り、国道沿いをひたすら歩いて、はて道を間違えたかと思ったあたりで、ようやく到着。

宿は駅近がよいかと思っていたが、そうではなかった。むしろかなり歩く距離のほうが、途中の景色を楽しめると今回学んだ。「誰もいないところに自分一人」というシチュエーションに胸が躍るのは、やはりこの身は夜行性ということなのだろう。

夜道を歩きながら感じたが、出家にとって娑婆の世界は、あまりに混沌としている。自我猛々しくておっかなすぎる場所である。だからできることなら、誰にも見つからない場所で、ひっそりこっそりと息を潜めて暮らしたいものである。

出家という種族は、昆虫にたとえればダンゴ虫であり、架空のキャラクターにたとえれば、ヴァンパイアみたいなものかもしれない。いや、決して生き血を吸わねば生きていけないということではなく(笑)、昼間より夜の暗闇を好み、人目がつかないところで半永久的に生きていくところが、なんとなく似ているように思えなくもない。

出家の場合は、肉体的にはもちろん老いるわけだが、精神的にはあまり歳を取らない。そもそも世俗から遊離したところがあるし、妄想しないから老いた気がしない。

ヴァンパイアといえば、真っ先に思い浮かんだのは、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のトム様とブラピ様なのだが、喩えとしてさえ並べるのはあまりに恐れ多いので、

自分のキャラに近い夜行性動物は?と宿で調べてみたら、

フクロウ、タヌキ、キーウィ、ツチブタあたりが出てきた。ツチブタ・・。

そういえば、見た目がレッサーパンダに似ているとかつて言っていた人がいたのを思い出したので調べてみると、

レッサーパンダも夜行性で、明け方・夕方に活発になるらしいが、環境に合わせて昼間に活動することもあるらしい。なるほど近いかもしれない。
 
(自分寄せの話題すみません) 


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2025年11月15日
 
 
 

大分臼杵 摩崖仏と里山


レンタル自転車で次に向かったのは、臼杵摩崖仏群。

バス利用も考えたが、平坦な道だというので、チャリで行ってみることにした。こういうところで運動しないと筋力が衰えていく。というかバス利用を考えてしまった時点で、心が若干衰えているのかもしれない。

結果的に正解だった。広い国道沿いを走っただけだが、それでも地元のお店に民家に、秋色づいた野山を眺めることができた。ちょうど快晴で秋の空気が澄明で心地よい。

石仏も見ごたえがあった。平安から鎌倉末期にかけて、京都・奈良の一級の仏師たちがやってきて、寺の造立にあわせて掘ったそうだ。

想像するのは、仏師の一人として旅して、石仏彫像に入れ込むもうひとつの人生。九条家や天台宗僧侶としての人生ではないのだ。快作をめざしてノミを振るう自分が目に浮かぶ(笑)。


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たしかに造りが精巧だ。ミャンマーにも石仏はたくさんあるが、造形の妙はやはり大陸由来の日本の石仏のほうがあるような気はする。

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私が仏師なら「あの裾のカーブがうまくいかなかったんだよな~」なんてこぼしたりしたかもしれないが、誰も目に留めない。そんなものだよね、うん。

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美仏内閣なるお遊びも。大日如来が首相というのは、やはり天台宗のお寺だからということか(マニアックな感想?)。


最も眼福潤ったのは、敷地内の公園だ。赤いコスモスが可憐に咲いていた。地元の方々の心づくしが身に沁みて伝わってきた。

見惚れてしまうほどの絵画的な美しさだ。ほどよく田んぼと民家がちらばっていて、里山の一部を作っている。この風景を見るだけでも、来た甲斐がありすぎるほどあった。


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いやせつなく美しい。こんな世界に生きている至福には感謝するしかない。


臼杵城址をまわって本日の締め。もう一度訪れたい。次は春か。

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臼杵城跡から。あの窓の一つ一つに人生がある。 
みんなどんな日常を生きているのかな、生きてきたのかな。


*商店街の中にフリースクールがあった。いつかお声をかけてください。


2025年11月14日