2023年12月 山口・萩 吉田松陰の熱

先週末から西日本を旅していました。島根(松江・玉造温泉) ⇒ 萩、そして名古屋。いよいよ日本全国行脚2023も完遂。


島根は講演会に呼んでいただいたため。出会えた人たちが素晴らしすぎました。とても思い出深い旅となりました。

山口・萩では、吉田松陰「先生」の記念館や墓地を回ってきました。

吉田松陰先生は生粋の教育家だったのだという印象が残りました。

勉強(読書)が大好きだったようですが、それも門弟の若者たちに何をどう教えるかという眼で見ていた気がします。

教育者としての情熱があったからこそ、門弟たちを深く感化できたのでしょう。

明倫館(長州藩校)もすごかった。当時は武術・剣術・軍事訓練の道場でもあり。長州藩の「心臓」みたいな場所。ここでも鍵となったのは教育。

萩の学校では、今なお吉田松陰先生の言葉を小学1年生から唱和させるのだとか。

「至誠」――真の心を尽くせば、届かぬ・動かせぬものはないというのが、吉田松陰先生の思いの中核。

言葉以上に、心が熱かった。だからこそ言葉に、行動に、そして影響力につながる。

当時の日本には、藩校・寺子屋・塾が全国にたくさんあった。藩お抱えの場所もあれば、地域の篤志家や村のリーダー的な人が個人で始めた場所もあった。

「情熱」から始めるからこそ、通いたいと思うし、感化・影響も受ける。

自由教育・私教育を通じて育った心が、幕末から維新にかけて国の姿を変えていった。

もし心を管理・統制してしまえば、情熱は育たない。

今の日本社会の閉塞は、教育の場から情熱が奪われてしまったことにも大きく起因しているというのが、個人的な印象。

学校で学ぶことがお上(文科省)に管理され、その中に先生も生徒も幽閉されているようなもの。

幽閉されて、その外に広がる学びを知らず、もはや想像もできなくなった大人たちが勉強を教え、

また学ぶ意味もわからないまま、そうした学びを半ば強制された子供たちは、我慢してつきあうか、成績が良ければいいという歪んだ価値観を取り込んで、中味のない勉強に励んで十代を消費してしまう。

中味のない教育・勉強。しかし事実上の義務であって、それしかないという教育制度が、百年以上続いてしまっている。

政治、経済、社会制度のみならず、教育もまた病的に停滞・閉塞しているのだろうと感じました。

当時は、日本全国に「吉田松陰」がいた。情熱を核とする大人たち。

そういう大人が子供・若者を薫陶して、その若者たちが日本を変えていった――。


学ぶところの多い旅でした。



2023年12月20日