この命の使い方

今回の講義には、東京、千葉、愛知の医師や医学生等が見学。地元の看護師さん(卒業生)も。

みなさん、その道のプロであり、プロになろうという人たちで、素人は私だけなのだが(笑)、プロといえども、見るべき点がすべて見えていることはほとんどないので、

この講義のように、医師、看護師、患者などすべての当事者に共通する「見えていなければいけない点」を技法に沿ってあぶりだすというアプローチが役に立つ。

医療・看護倫理は、まだまだ発達途上であって、いつ確立できるかわからない段階だ。かなうことなら、専門家の先生に活かしてもらって、「これだけは外せない、苦しみを増やさない最善の選択を導くための手順」を確立させ、普及させてほしいと思う。

3日目はグループワークを中心に進めて成功した。講師としては納得の一日。見学してくださった方々も、得たものは多かった様子。


そのあと奈良に入って、建築士さんと現地で打ち合わせ。ほんとに無事家屋が完成するのか素人にはわからないのだが、できます、と自信をもって言ってくださる。

完成すれば、今回の傷も癒されるだろう。最大の傷は、未来を育てるという教育活動が遅れを取ったことだ。

とにかく一日も早く形を作り、次の世代に生き方・学び方を伝える努力を始めたい。

 
夜に新幹線で東京へ。翌朝は早くに茨城に向かう。こちらは地元JA向けの講演会。

この一週間、徹夜続きで、看護学校での講義の合間に徹夜して新聞連載のイラストを仕上げるなど、かなりシュールな日常だった。器用な坊さんではある(笑)。いろんな分野でオリジナリティを発揮できている。

一度自分を捨てたことが、今につながっている。やりたいかやりたくないかという軛(くびき)を外して、求めに応じて、できることを謹んで確実にやる、という立場に立ってから、すべてが始まった。

茨城の講演会は、終活セミナー。歳を取るほど幸せになれる生き方について。農業を支える地元の女性たちがメインの対象。

日本の農業は実はピンチ。日本の社会そのものが、かなりの危機に直面している。それでも日本全国を旅すると、どの土地にもそれなりに人がいて、経済はまだ回っている。

巷間叫ばれている人口激減や継承者不足、食糧自給の危機などは、本当は夢なのではないか、まだこの社会は無事に回っていくのではないかと思いたくなるのだが、

だが、肉体の老いが刻々と目立たない速度で確実に進むように、社会の劣化・危殆化も、じわりじわりと進んでいるのだろう、と現実に目を覚ます。
 

まだ見えない危機を先取りしてシステムを変えていくことが、本来の社会的イノベーション・リノベーションであって、それが常態と化すことが理想なのだろうが、現実は程遠い。日本社会の時間は止まったままだ。いや、世界全体が、人類そのものが、か。

人間の心は、第一に己の妄想を見て、第二に執着することを選ぶ。見えない危機も未来も、他にありうる可能性も想像できないくらいに、小さな知力しか持ち合わせていないのだ。


日本社会の分断・萎縮・劣化・衰退は、自業自得と言えなくはない。だが、せめてその中で、新たな可能性を育む側に立たねばならぬという思いは、つねにある。


怒涛の一週間がやっと終わった。こんな日々をずっと続けたら、さすがに過労死するであろうと実感できるレベルの一週間だった。

実際に過労死する人たちも、この世の中には存在する。ひとり自死する人も、身投げする人も。忘れたことはない。

目の前で人が滅びつつあるのに、人間は現実を見ずして、まだおのれの欲と妄想にしがみつき、快楽と執着の中に留まっている。


世界は残酷だ。現実の苦しみを見ようとしない、その無知こそが、残酷な世界を作る最大の理由なのだ。

現実をよく見て、その中で己(おのれ)の命の使い方を見きわめる。

現実を見て感じる痛みを、熱量に変えて、この時代・この社会において、自分にできることをなす。

その道をどこまでも突き進むことが答えなのだと、今は知っている。ゆけ。



2024年7月20日
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